銕仙会

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曲目解説

浮舟(うきふね)

◆別名

 浮船(うきふね)  ※他流での表記。

◆登場人物

前シテ 女  じつは浮舟の霊
後シテ 浮舟の幽霊
ワキ 旅の僧
アイ 土地の男

◆場所

【1~6】

 京都南郊 宇治の里  〈現在の京都府宇治市〉

【7~9】

 京都北郊 小野の里  〈現在の京都市左京区上高野小野町。比叡山の麓〉

概要

長谷寺参詣を遂げ、京へ向かう旅の僧(ワキ)。途中、彼が宇治の里に到ると、小舟に乗った一人の女(前シテ)が現れた。世に流される身を憂い、儚き身の果てを嘆く女。声をかける僧へ、彼女は、この里が源氏物語に描かれた浮舟の悲話の舞台であることを告げ、浮舟の苦悩の日々を明かす。やがて女は、都の北郊 小野の里で待つ旨を述べると、姿を消してしまう。実は彼女こそ、浮舟の霊魂であった。
小野の里を訪れた僧が弔っていると、浮舟の幽霊(後シテ)が現れた。二人の貴公子の間で板挟みとなった記憶に苛まれ、心乱れる彼女。彼女は、流れに身を任せることしか出来ない自らの苦悩を語り、死を決意するに至った心境を明かす。しかしやがて、観音への祈りによって妄執を晴らすことの叶った彼女は、夜明けとともに消えてゆくのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場します。

大和から京をめざして旅をする、一人の僧(ワキ)がいた。名高い観音の霊場・長谷寺へと参詣を遂げ、都への旅路を急ぐ彼。気づけば、ここは早くも京都南郊 宇治の里であった。それは、かつて様々な物語の舞台ともなった、世に知れた名所。彼は、付近の旧蹟を眺めてまわろうと、暫しこの地で休息を取ることとした。

2 前シテが登場します。

里の中央に横たわる、宇治川の流れ。僧が川を眺めていると、柴積み舟に棹さす、一人の女(前シテ)が現れた。「川面に漂うこの舟よりも、なお寄る辺なきこの私。この里に辛い日々を送るまま、未来の見えぬ今の境遇。それも思えば、自らの行いが招いたこと。在りし日の愚かな心を嘆き、定めなき世の理を思いつつ、神仏の救いを願うばかり…」。

3 ワキは前シテと言葉を交わし、宇治の里の情景を眺めます。

声をかける僧へ、彼女は、昔この里にいた源氏物語の女君・浮舟のことを口にする。詳しく尋ねる僧に、彼女は言う。「賤しいこの身には、話す程の事もありません。『宇治という名すら聞きたくない』と、仰った人も居るほど…」 昔の日々を偲びつつ、川に浮かぶ橘小島を眺める彼女。川のあなたには夕煙が立ち、空には雲が流れゆく。光を受けて輝くのは、雪を戴く遠山。そんな里の情景を、彼女は愁いを帯びた面持ちで眺めるのだった。

4 前シテは、浮舟の故事を語ります(〔クセ〕)。

やがて、口を開いた彼女。彼女は、浮舟の昔物語を語りはじめる。
——浮舟をこの里へ隠し置き、穏やかに愛を向けていた薫中将。しかし口さがない世の習い、噂を聞きつけた匂宮は忍んでこの地を訪れ、彼女の姿を垣間見たのでした。やがて念願の契りを交わし、小舟に乗って橘小島へ彼女を連れ出すと、情熱的な愛で迫る匂宮。そうとは知らず、これまで通りの関係を続ける薫。こうして、二人の間で板挟みとなった彼女は、この世との別れを決意し、そのまま姿を消したのでした…。

5 前シテは、自らの正体を仄めかして姿を消します。(中入)

女は言う。「かく言う私は、比叡山麓 小野の里に住む者。都を訪れた折には、そのついでにお立ち寄り下さい。今でも物の怪に取り憑かれ、苦しむことのある身。仏法の力を頼みに、お待ちしています…」 この里の住人かと思いきや、小野の者と言う彼女。不思議に思う僧をあとに、彼女はそう告げると、姿を消してしまうのだった。

6 アイが登場し、ワキに物語りをします。

そこへやって来た、この里の男(アイ)。僧は男を呼びとめ、浮舟の故事を尋ねる。先刻の不思議な女を思いつつ、男の言葉に耳を傾ける僧。やがて僧は気づく。実は彼女こそ、浮舟の霊魂だったのか。そう思い至った僧は、供養のため、小野の里へと足を向ける。

7 ワキが弔っていると、後シテが出現します。

小野の里を訪れ、彼女のために経を手向ける僧。するとやがて、そんな彼の声に導かれ、浮舟の霊(後シテ)が姿を現した。「この世に亡き今もなお、涙に沈むばかりのこの身。寄る辺なき境遇の私には、神仏の救いを頼むほか無いのです…」。

8 後シテは、思い乱れるさまを見せます(〔カケリ〕)。

浮舟の霊は、在りし日の記憶を語りはじめる。
——二人の間で苦悩した私は、あの日、人々が寝静まった頃、身を投げようと宇治川へ赴きました。しかしその時、私は見知らぬ男に誘われたかと思うと、そのまま正気を失ったのです。流れに任せることしかできぬ、非力なわが身。それはまるで、匂宮様との逢瀬の日、二人で小舟に乗った、あの時の感覚のよう…。

9 後シテは、自分が救われたことを明かして消え失せます。(終)

「日の光の恵みを仰ぎ、夜の暗がりに冥途の闇路を恐れつつ、ひたすら観音様に救いを願っていた私。その祈りが通じて横川の僧都に発見された私は、この小野の里で、物の怪も無事に取り除かれました。儚い夢の世とはいえ、苦しみ多きこの世界。その理をお伝えすべく、私はこうして、貴方の夢に現れたのです。そして今、お弔いを受けたことで、私の執心は晴れました——」 天界へ転生したと明かし、夜明けとともに消えてゆく彼女。あとには、杉の梢を吹く風だけが、そこには残っていたのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2021年6月23日)

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