銕仙会

銕仙会

曲目解説

楊貴妃ようきひ
愛しあう玄宗皇帝と別れ、東海の孤島でひとりぼっちの日々を過ごす、楊貴妃の魂。彼女の口から語られる、愛する夫との秘密の約束。
作者 金春禅竹
場所 蓬莱山(中国の東の海に浮かぶとされる、伝説上の神仙郷)
季節 仲夏
分類 三番目物 本鬘物
「三夫人」の一つ(他に〈定家〉〈大原御幸〉)
登場人物
シテ 楊貴妃の魂 面:若女など 天冠壺折大口出立(仙女の扮装)
ワキ 方士(道教の術を使う霊能者) 側次大口出立(唐人の扮装)など
間狂言 蓬莱山に住む者 長裃出立(一般人の扮装)

概要

安史の乱ののち、亡くなった楊貴妃の魂の行方を尋ねよという玄宗皇帝の命令を受けた方士(ワキ)が仙郷・蓬莱山に至ると、そこでひとり過ごす楊貴妃(シテ)と出会う。玄宗の言葉を伝えた方士が、貴妃に出会ったという証拠を所望するので、貴妃は自分のかんざしを与えるが、それでは確かな証拠にならないと方士は言い、玄宗と貴妃とが生前に言い交わした秘密の約束を教えてほしいと言う。貴妃は二人だけの秘密の言葉を教えると、帰ろうとする方士を呼び返し、かつて宮廷の遊宴で舞った舞を見せようと言う。貴妃は玄宗との思い出を語り、優雅に舞って見せる。やがて方士は帰ってゆくので、貴妃はそれを見送ると、涙に伏し沈むのであった。

ストーリーと舞台の流れ

 

0 蓬莱宮をあらわす作リ物が運び出されます。

 

1 ワキが登場し、自己紹介をします。

中国、唐の時代。時の皇帝・玄宗げんそうは、后の楊貴妃を寵愛するあまり政務を顧みなくなってしまい、政治は混迷をきわめていた。その隙に乗じて起こった反乱「安史の乱」は、瞬く間に中国全土へと広がり、国家は滅亡の危機に瀕してしまったのだった。泣く泣く馬嵬ばかいの地で楊貴妃を斬った玄宗であったが、なおも恋慕の思い止みがたく、道教の術を使う方士(ワキ)に命じて楊貴妃の魂のありかを尋ねさせることにしたのだった。

2 ワキは間狂言と言葉を交わします。

方士は天地を飛びまわって捜すが、楊貴妃の魂はなかなか見つからない。方士は、今度は中国の東の海上に浮かぶ仙郷・蓬莱ほうらい山へと赴くことにした。

蓬莱に着いた方士は、島の者(間狂言)に事の次第を話し、尋ねてみる。すると、島内にある「太真殿」という宮殿に貴婦人がいるらしいというので、方士は太真殿へと向かうことにした。

3 シテが作リ物の中から登場し、ワキと言葉を交わします。

方士が太真殿に行ってみると、中から女性の声がする。「昔はあの方と一緒に見た、春の花。しかし世の中は移り変わるもの。今では一人で、秋の月を眺めるばかり…。」

方士が玄宗の使者であることを述べると、玉の簾が上がり、一人の貴婦人が姿を見せる。声の主は、捜し求めていた楊貴妃(シテ)その人であった。目に涙を浮かべたその容貌は、まるで雨露に濡れた梨の花のよう。たとえようもない、美しきその姿。

4 ワキとシテは言葉を交わします。

方士は玄宗の楊貴妃を慕う思いを伝え、貴妃は玄宗を恋慕して涙を流す。貴妃に会った証拠として形見の品を所望する方士に、貴妃は身につけていたかんざしを与えるが、これでは貴妃に出会った確かな証拠にはならないと言うので、貴妃は、玄宗と密かに語り交わした、二人だけの秘密の言葉を教えようという。

5 シテは、かつて玄宗と交わした言葉を明かします。

――あれは、七夕の夜。二星に誓って、こう言いました。「このさき生まれ変わっても、天に生まれれば比翼の鳥、地に生まれれば連理の枝となって、ずっと一緒でいようね」と。あの方との秘密は、ついに洩れてしまうのね…。

「結局、私は馬嵬で先に死に、一緒にはなれなかった。それでもあの方が同じ心でいて下さるなら、またお会いできる日が来ると、信じておりますよ…。」

6 シテは舞を舞って見せようと言い、〔イロエ〕を舞い始めます。

貴妃に会ったという確かな証拠を得た方士は、帰ってゆこうとする。貴妃はそれを呼び止め、玄宗の作った「霓裳羽衣げいしょうういの曲」を舞って見せようと言う。「あの日、玄宗さまの前で舞った時も、その釵をつけていたわ。ああ、宮廷の遊宴が懐かしい…。」

貴妃は方士から釵を返されると、それを身につけ、舞を舞いはじめる。

7 シテは玄宗との思い出を語り舞います(〔クリ・サシ・クセ〕)。

――もとは神仙世界の仙女だったこの私は、昔からの因縁によって、仮に人間の身を受けました。楊家の深窓で育ったこの私を、はじめて召し出して下さった玄宗さま。いつまでも一緒にとの契りも空しく、運も尽き、私はこの島でまた一人ぼっちに…。あの七夕の夜の秘密の約束も、空しくなってしまった。しかしこれも運命、会うは別れの始まりなのだから…。

8 シテは〔序之舞〕を舞い、去ってゆくワキを見送り、この能が終わります。

優美な中にも哀愁を含んだ、貴妃のたおやかな舞い姿。

名残りは尽きず、時刻は移りゆく。貴妃は釵を再び方士に与えると、去ってゆく方士を見送る。蓬莱宮にひとり残された貴妃は、玄宗を想う涙に伏し沈むのであった…。

みどころ

本作は、中国文学の名作である白居易はくきょいの『長恨歌ちょうごんか』を、そのストーリーはほぼそのままに舞台化した作品となっています。

白居易は、中国 唐の時代におこった大規模な反乱「安史の乱」(755-763)の直後の時期(文学史区分でいう「中唐」の時代)に活躍した詩人で、『長恨歌』は玄宗皇帝と楊貴妃との愛、そして安史の乱によるその破滅を描いた作品となっています。本作に描かれている、方士が楊貴妃の魂を見つけ出し、秘密の約束を聞いたというストーリーは、『長恨歌』のストーリーをそのまま利用したものとなっています。

この『長恨歌』の中でも特に著名なのが、次に掲げる一節です。

七月七日長生殿    七月七日、長生殿、

夜半無人私語時    夜半、人無く私語の時、

在天願作比翼鳥    天に在りては願はくは比翼の鳥とり、

在地願為連理枝    地に在りては願はくは連理の枝とらむと。

天長地久有時尽    天長地久、時有りて尽くるとも、

此恨綿綿無尽期    此の恨み綿々として、尽くるとき無けむ。

七月七日のこと、長生殿(玄宗皇帝の宮殿の名)で、夜も更けて侍臣も傍らになく、ただ二人ひそやかに語ったとき、「二人は天上に生まれるなら、比翼の鳥となろう、地上に生まれては、連理の枝となろう」と誓い合ったのであった。天地はとこしなえであっても、滅び尽きるときがあろうが、そのときが来ようとて、この二人の恨みは長く長く、決して尽き果てるときはないであろう。

 ※比翼の鳥:雌雄がおのおの一つの目と一つの翼をもち、常に雌雄一体となって飛ぶという、伝説の鳥。

 ※連理の枝:一本の木の枝が他の木の枝と連なり、木目が通じ合っているという枝。

生まれかわっても変わることのない夫婦の愛を誓い合った、玄宗と楊貴妃との秘密の約束にあたる一節で、本作でも重要な役割を果たしているものですが、この七夕の夜の二人だけの秘密は、名作『長恨歌』の掉尾を飾るに相応しいものとなっています。

この白居易という詩人は、日本では「白楽天はくらくてん」の名でも知られ、平安時代以来きわめて愛好されていた詩人であり、その数ある作品の中でも最も愛されていたのが、この『長恨歌』でありました。たとえば、日本文学史上の傑作とされる『源氏物語』では、亡くなった桐壺更衣(光源氏の母)を恋い慕う桐壺帝(光源氏の父)の詠んだ歌として

尋ね行く方士まぼろしもがな つてにてもたまのありかをそこと知るべく

あの『長恨歌』で楊貴妃の魂を捜し回った方士が、ここにいてくれたら…。そうすれば、人づてにでも、更衣の魂がどこにいるのかを知ることができるのに。

という歌が載せられており、また亡くなった紫の上(光源氏の最愛の妻)を追慕する光源氏の詠んだ歌としても

大空を通ふ方士まぼろし 夢にだに見えこぬたまの行方たづねよ

大空を自在に飛びまわる方士よ。夢の中にさえ現れることのない、愛しい紫の上の魂がどこに行ってしまったのかを、捜し出しておくれ。

という歌が載せられるという形で、作中でもきわめて重要な場面に『長恨歌』が取り入れられており、『長恨歌』が日本できわめて愛好されていた様子が窺われます。

なお、このうち桐壺帝の詠んだ「尋ね行く…」の歌は、本作の「1」の場面でもワキの道行みちゆきの謡として取り入れられています。本作は、『長恨歌』の世界を描き出すとともに、そこに『源氏物語』の雅びな愛の世界をも響き合わせて、書かれているといえましょう。

昔から文学者たちに愛好されてきた、愛しあう二人の秘密の約束の物語。死してなお玄宗皇帝を想いつづける楊貴妃の恋心が、しっとりと描き出された作品となっています。

(文:中野顕正)

近年の上演記録(写真)

2016年9月定期公演「楊貴妃」シテ:観世清和
(最終更新:2017年1月)

曲目解説一覧へ戻る

能楽事典
定期公演
青山能
チケットご予約