銕仙会

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曲目解説

養老ようろう
年老いた者にも力を与え、心身を癒やしてくれる、霊水のちから。それは、孝行息子のおこないに感応した神々からの、天の恩恵であった。
作者 世阿弥
場所 美濃国本巣郡 養老滝 (現在の岐阜県養老郡養老町)
季節 初夏
分類 初番目物 脇能 男神物

 

 

登場人物
前シテ 美濃国の老人 面:小牛尉 大口尉出立(老人の扮装)
後シテ 山の神 面:邯鄲男 透冠狩衣大口出立(男体の神の扮装)
ツレ 老人の息子 直面 水衣大口男出立(若い男の扮装)
ワキ 勅使 大臣出立(朝廷の臣下の扮装)
ワキツレ 勅使の従者(2人) 大臣出立
間狂言 本巣郡の住人 掛素袍括袴出立(庶民の扮装)

概要

雄略天皇の御代。美濃国 養老滝で、不思議な泉が湧いたとの報告があった。勅使(ワキ・ワキツレ)が確認のため下向すると、そこに、この地に住む老人(前シテ)とその息子(ツレ)が現れる。老人は、この泉は息子が親を養うべく薪を採っている最中に発見したものであると教え、この水を飲めば身も心も癒えて長寿が保たれるのだと明かすと、この薬の水を汲みつつその霊力を讃えるのだった。
奇瑞を目の当たりにした勅使。そのとき、勅使の眼前に、さらなる奇跡が起こる。天より花降り音楽聞こえ、この山の神(後シテ)が出現したのであった。山の神は、この霊水の如き清らかな御代を讃えると、祝福の舞を舞うのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場します。

日本の黎明期・雄略天皇の治世。天皇の徳はあまねく国土を覆い、万民は平和と繁栄の日々を謳歌していた。
そんななか、大和の朝廷に一つの報せが届く。それは、美濃国本巣郡の養老滝に不思議な泉が湧き出したというもの。天皇はさっそく勅使(ワキ・ワキツレ)を遣わし、その霊泉を見に行かせることとした。

2 前シテ・ツレが登場します。

現地に到着した勅使たちの眼前には、青々とした美濃の山々が広がっていた。松影映る泉の水は、涼しげに透き通っている。鮮やかな色をたたえた、木々の緑と水の翠(みどり)
そんな中やって来た、この山蔭に住む老人(前シテ)と若い男(ツレ)。「人生も終盤にさしかかり、身は屈まって総白髪。しかしこの滝川の澄んだ流れは、そんな老いの心さえも浄化してゆくよう。滔々と流れゆく清らかな水。これこそが、老いを養う霊薬なのだ…」。

3 前シテ・ツレはワキと言葉を交わします。

この二人こそ、霊泉を発見した親子であった。勅使は二人に声をかけ、老人は霊泉発見の経緯を語る。「いつも山で薪を取り、私たち親を養っていたこの子。あるとき山路の疲れにこの水を飲むと、世の常ならぬ味わいに、身も心も癒えたのです。さっそく汲んで帰り、親にも飲ませてくれたので、私もこのように長寿を保っているのです」。
滝壺の岩陰に湧き出た、妙なる泉。この霊瑞に巡り逢えたのも、治まる御代なればこそ。下々の万民までもが清き聖代の流れにあずかる、めでたい治世なのであった。

4 霊水の徳が讃えられる中、前シテは水を汲みます。

――中国の東海に浮かぶという仙境・蓬莱山にも等しいこの国で、こうして湧き出た霊水。それは、昔より漢詩に詠まれ、隠逸の士たちに愛されてきた、薬の酒も同じこと。いにしえ菊の露を飲み、仙家で七百歳の齢を得た彭祖(ほうそ)のように、この水を汲んで寿命を延べる、老いの身。思えばこの泉こそ、若返りの水なのであった…。

5 さらなる奇跡の予兆を感じさせる中、シテ・ツレは退場します(中入)。

奇跡を目の当たりにした勅使。彼は感涙に袖を濡らしつつ、このことを急いで帝に奏上しようと言う。
するとそのとき、天からはまばゆい光がさし、滝は澄んだ音色を奏ではじめた。妙なる音楽が辺りに響き、虚空からは芳しい花が降り下る。まさに今、更なる奇跡が始まろうとしていた…。

6 間狂言が登場して、霊水の徳をたたえ、〔三段之舞〕を舞います。

清らかな泉はこんこんと涌き、土地の者(間狂言)までもがその霊水に心を潤す。まことに神秘的な、養老滝のありさま。

7 後シテが出現し、〔神舞〕を舞います。

そのとき、神々しい響きとともに、この山の神(後シテ)が姿を現した。治まる御代に感応して霊泉を涌かせた山の神は、今また勅使を饗応すべく、出現したのであった。
この山に宮居を占め、土地の霊力を司る神。それは、水の源に現れてあまねく衆生を見守るという、楊柳(ようりゅう)観音の仮の姿であった。神はその威光を顕わし、滔々と響く水音に合わせて颯爽と舞を舞うのだった。

8 後シテは治まる御代を讃美し、この能が終わります。

淀みなく流れゆく、清らかな水。やがて小川は集まって大河となり、悠久の時を表わすかのように、ゆったりとした姿を見せる。それは、治まる御代にふさわしい、水の姿。
この澄んだ霊水の、穏やかな流れ。そのように、治まる御代もまた、末久しく続くのであった――。

小書解説

・水波之伝(すいはのでん)

この小書が付くと、通常は登場しない楊柳観音(後ツレ)が舞台上に登場します。すなわち、まず「6」の間狂言の場面が省略され、代わりに後ツレが現れて舞を舞い、その後、「7」の場面となって後シテが現れる、という展開となります。そのほか、後シテの舞う〔神舞〕にも緩急がつくほか、後シテの装束も通常と異なったものになるなど、細部が様々に変化します。
「水波」とは、「神と仏とは本来一体のもので、神とは仏が仮に現れた姿である」という、伝統的な神仏観をあらわす常套句で、本体の仏とその化身である神との関係を〈自由自在に姿を変化させる水〉と〈その実際的な現れとしての波〉という関係に譬えた言葉です。上記「7」の場面では、山の神が観音の化身であることが謡われていますが、そうした神と仏との一体性を視覚的に表現したのが、この演出となっています。

みどころ

本作の主題となっている養老の滝の故事は、鎌倉時代成立の説話集『十訓抄』などにも載せられているものです。たとえば『十訓抄』における養老の滝の故事を紹介すると、次のようになっています。
――奈良時代、美濃国に、孝行者の男がいた。いつも山野に入って木や草を取り、それを売って老父を養っていた。また、老父が酒を欲しがるので、いつも酒を買って父に飲ませていた。あるとき、男は山中で足を滑らせ倒れてしまったが、ちょうどそこに酒の香りがただよってきたので、見ると石の中から水が湧き出していた。飲んでみると、まさしく酒の味であった。それ以後、男は老父にそれを飲ませて養ったのであった。これというのも、男の孝行ぶりに感じ入った神々が恵みを与えて下さったのである。
この物語は、載せられている説話集によって細部に異同があり、時代を奈良時代とする点や湧き出した水を酒と明記する点で本作とも異なってはいますが、「孝行息子が不思議な力をもった水の涌く泉を発見し、それによって老父を養った」というのが、それぞれに共通する骨格となっています。
このような、「神秘的な泉が湧き出し、その水は心身を癒やし若返らせる力をもつ」というモチーフは古くからあるもので、その霊水は酒のイメージと結びつけられてきました。
上記「5」の場面でも、古代中国の竹林の七賢(世俗から離れ、竹林の中にいて隠逸の生活をおくった、七人の隠者)のうち劉伯倫(りゅうはくりん)の名が挙がっていますが、この人は酒を好み、世俗を捨てた境地に達した人物として知られており、本作における霊水を酒と結びつける意図のなかで、彼の名前が挙げられています。
また、同じ場面に彭祖(ほうそ)の名が出て来ますが、これは能〈菊慈童〉の主人公である慈童(じどう)のことで、菊の葉から滴り落ちる露を飲んだことで七百歳の齢を保ったという伝説があります。その伝説が、本作における若返りの霊水と結びつけられているのですが、その伝説の中に出てくる菊の雫にもまた、酒のイメージが濃厚に含まれているのです。
これらのように、“薬の水”とも称され妙薬として讃えられる酒をイメージの中核に据え、その酒のめでたさを謳いあげることが、本作の主題となっているのです。
疲れ切った心を癒やし、身体を元気にさせてくれる、酒の力。その天の妙薬の徳を讃えた、めでたい曲となっています。

(文:中野顕正)

近年の上演記録(写真)

2015年1月青山能「養老」シテ:観世淳夫

今後の上演予定

(最終更新:2017年8月)

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