河内国の住人・高安通俊(ワキ)は、かつてわが子を追い出してしまった悔恨の念から、作善として四天王寺の境内で乞食たちに施しをしていた。そこへやって来た盲人“弱法師”(シテ)。その風流心ある様子を見ていた通俊は、彼こそわが子のなれの果てだと気づく。やがて日没の時刻。春の彼岸にあたる今日、寺の西門・石の鳥居には多くの人々が集まり、沈みゆく夕日を見て西方浄土に思いを馳せる“日想観”をおこなっていた。弱法師もまたその座に連なると、夕陽に照らし出された難波浦の致景を心に思い描き、興に乗じて舞い戯れはじめる。しかし彼は通行人と衝突して転倒してしまい、盲目の身という現実に打ちのめされてしまうのだった。やがて夜になり、父だと名乗り出る通俊。はじめは恥じ入る弱法師だったが、通俊はそんな息子の手を引き、わが家へと連れて帰るのであった。
作者 |
観世元雅 |
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但し〔クリ・サシ・クセ〕は世阿弥 |
場所 |
摂津国 四天王寺 (現在の大阪府大阪市天王寺区) |
季節 |
仲春 春の彼岸の日 |
分類 |
四番目物 特殊物 |
シテ |
盲目の乞食“弱法師” じつは高安通俊の子・俊徳丸 |
面:弱法師 水衣男出立(賤しい男の扮装) |
ワキ |
高安通俊 |
素袍上下出立(一般人の扮装) |
アイ |
高安通俊の下人 |
長裃または肩衣半袴出立(庶民身分の扮装) |
概要
ストーリーと舞台の流れ
1 ワキ・アイが登場します。
難波浦に面して建つ、聖徳太子建立の古刹・四天王寺。この寺の西門・石の鳥居は、西方極楽浄土へ向かう出離の門と信じられ、貴賤の人々の信仰を集める霊場であった。
この寺の境内では、ちょうど今、七日間にわたって乞食への施しが行われていた。その願主は高安通俊(ワキ)。彼は、かつてある人の讒言を信じ、一人息子を追い出してしまった過去をもつ。この施しも、そんなわが子の行く末を祈る作善なのであった。
通俊の下人(アイ)は、今日も、施しを行う旨を近隣に告知してまわっていた。
2 シテが登場します。
そこへ現れた、盲目の乞食(シテ)。「生きながらにして闇路に迷う、この私の心。いったい前世にどんな罪を犯してか、親との縁をうしなった上、盲目の身となってしまうとは…。ただ頼むものは、闇の世を照らす仏の慈悲。この天王寺こそ、日本最初の仏法流布の地。この寺で、祈りを捧げることとしよう」。
3 ワキはシテと言葉を交わします。
“弱法師”とあだ名された、この盲乞食。通俊の施しの列に連なる彼の袖には、梅の花が散りかかる。折しも今日は春の彼岸。穏やかな陽気に包まれた、難波の里の風情である。
「おや、かぐわしい花の香り。この難波津の春といえば、古歌にも詠まれた梅の名所。ああ、面白いこと…」 目こそ見えずとも、しみじみと香りの情趣を楽しむ弱法師。乞食の身に似合わぬ、奥ゆかしげな彼の心なのであった。
4 四天王寺の功徳が讃えられます(〔クリ・サシ・クセ〕)。
――釈迦は遠い昔に入滅され、次に仏陀が出現するのは遥かの未来。そんな闇のこの世を導くべく建立された日本最初の寺、それがこの天王寺。本尊・救世観音は、聖徳太子の真の御姿。今なおこうして、末世の人々を救って下さるのだ。霊木と黄金とによって彩られた仏閣の数々、天竺の無熱池へと連なる亀井の水、浦々に響く鐘の音。この寺の有様、その向こうに広がっている海山の光景、それこそが、悉皆成仏の姿なのだ…。
5 ワキは、シテがわが子だと気づきます。
寺の功徳を讃える弱法師。その様子に、通俊は彼こそ実のわが子だと気づく。人の讒言を信じた通俊によって追い出され、つらい思いの果てに盲目となった、哀れなわが子のなれの果て。すぐにも親と名乗り出たい通俊だったが、人目を憚り、夜を待とうと心に決める。
6 シテは日想観(にっそうかん)をおこない、法悦にひたります。
時刻は夕暮れ時。彼岸の今日、日輪は真西の水平線へと消えてゆく。それは、西方浄土を心に念ずる“日想観”に相応しい日。弱法師もまた、盲目の身ながら日想観の座に連なると、遥かなる西の空に思いを馳せるのだった。「天王寺の西門から、向かうは極楽浄土の東門。今ごろは、沈みゆく日の光が浦の波間に舞い漂っているはず。盲目となる前には何度も目にした、難波浦の致景。今の景色も、きっとそうに違いない…」。
7 シテは興に乗じて舞い戯れます(〔イロエ〕)が、転倒し、興が醒めてしまいます。
固く閉ざされた瞼の裏に広がる、夕陽に輝く浦の光景。一点の曇りもなき夕映えの空、海のむこうに見える淡路島や須磨・明石、この浦を囲む四方の景色。そんな致景の数々が、彼の心には鮮明に映し出されていた。
「おお、見える、見えるぞ…」 この喜びに、彼の足は自ずと浮かれ出す。四方を眺めてまわる弱法師。しかしその時、彼は道ゆく人と衝突し、転倒してしまう。やはり目は見えていなかった――。その現実に、弱法師は自らの姿を恥じるのだった。
8 ワキはシテに親だと名乗り出、二人は再会を果たします。(終)
そうする内、次第に夜も更け、人目もまばらとなってゆく。遂に決心し、声を掛ける通俊。困惑しつつも弱法師が明かした名、それこそ、疑いもなきわが子・俊徳丸であった。
父だと名乗り出た通俊に、驚く俊徳丸。彼は今の姿を恥じ、手探りに逃げ出そうとする。しかし父はそんなわが子を優しく迎え入れると、夜の闇に紛れ、天王寺をあとにするのだった――。
みどころ
(文:中野顕正)
過去に掲載された曲目解説「弱法師」(文・江口文恵)