銕仙会

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曲目解説

弱法師(よろぼし)

◆登場人物

シテ 盲目の乞食“弱法師(よろぼし)”  じつは高安通俊の子・俊徳丸
ワキ 高安通俊(たかやすみちとし)
アイ 高安通俊の従者

◆場所

 摂津国 難波(なにわ)の里 四天王寺  〈現在の大阪府大阪市天王寺区〉

概要

河内国の住人・高安通俊(ワキ)は、かつてわが子を追い出してしまった悔恨の念から、罪滅ぼしのため、四天王寺の境内で貧者たちへの施しをおこなっていた。そこへやって来た盲人“弱法師”(シテ)。その風流心ある様子に、通俊は、彼こそわが子だと気づく。
やがて日没の時刻。春の彼岸にあたる今日、難波浦に面したこの寺の西門には多くの人々が集い、沈みゆく夕日を見て西方浄土に思いを馳せる“日想観”をおこなっていた。弱法師もまたその座に連なると、盲目の身ながらも、夕陽に照らし出された浦の致景を心に思い描き、興に乗じて舞い戯れはじめた。しかし彼は通行人と衝突して転倒し、盲目という現実に打ちのめされてしまう。やがて夜になり、父だと名乗り出た通俊。今の姿に恥じ入る弱法師だったが、通俊はそんな息子の手を引き、わが家へ連れて帰るのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・アイが登場します。

難波浦に面して建つ、聖徳太子建立の古刹・四天王寺。この寺の西門・石の鳥居は、西方極楽浄土へ向かう出離の門と信じられ、貴賤の人々の信仰を集める霊場である。
この寺の境内では、ちょうど今、七日間にわたって貧者たちへの施しが行われていた。その願主は高安通俊(ワキ)。彼は、かつてある人の讒言を信じ、一人息子を追い出してしまった過去をもつ。この施しも、そんなわが子の行く末を祈る作善なのであった。
通俊の従者(アイ)は、今日も、施しを行う旨を近隣に告知してまわっていた。

2 シテが登場します。

そこへ現れた、盲目の乞食(シテ)。「昼と夜との境すら知ることの叶わぬ、今のこの身。いったい前世にどんな罪を犯してか、不孝の者となり果て、あまつさえ眼までも失ってしまうとは…。生きながらにして闇路に迷う、私の心。思えば、闇の世を照らす仏の慈悲こそ、我等が頼むべき道なのだ。この四天王寺は、日本最初の仏法流布の地。この石の鳥居のもとで、祈りを捧げることとしよう——」。

3 ワキは、シテと言葉を交わします。

盲目ゆえに足元もおぼつかない姿から、“弱法師”とあだ名されたこの乞食。通俊の施しの列に連なる彼の袖には、梅の花が散りかかる。折しも今日は春の彼岸。穏やかな陽気に包まれた、難波の里の風情である。「おや、かぐわしい花の香り。この難波津の春といえば、古歌にも詠まれた梅の名所。この花の施しまでも受けることとなった、今日の日の面白さよ…」 目こそ見えずとも、しみじみと香りの情趣を楽しむ弱法師。乞食の身に似合わぬ、奥ゆかしげな彼の心なのであった。

4 シテは、四天王寺の功徳に思いを馳せます(〔クセ〕)。

——釈迦は遠い昔に入滅され、次に仏陀が出現するのは遥かの未来。そんな闇のこの世を導くべく建立された、わが国最初の寺、それがこの四天王寺なのだ。本尊・救世観音は、今なおこうして、末世の我々を救って下さっている。霊木と黄金とによって彩られた堂塔の数々、天竺の無熱池へと連なる亀井の水、浦々に響く鐘の音。この寺の有様や、その向こうに広がる海山の光景。これこそ、悉皆成仏の姿に他ならないのだ…。

5 ワキは、シテがわが子だと気づきます。

寺の功徳を思う弱法師。その様子に、通俊は、彼こそわが子・俊徳丸だと気づく。人の讒言を信じた通俊によって追い出され、辛苦の果てに盲目となった、哀れな息子のなれの果て。すぐにも名乗り出たい通俊だったが、人目を憚り、夜を待とうと心に決める。

6 シテは“日想観(にっそうかん)”をおこない、法悦にひたります。

時刻は夕暮れどき。彼岸の今日、日輪は真西の水平線へと消えてゆく。それは、西方浄土を心に念じる“日想観”に相応しい日。弱法師もまた、盲目の身ながら日想観の座に連なると、遥かなる西の空に思いを馳せる。「天王寺の西門から、向かうは極楽浄土の東門。きっと今ごろは、沈みゆく日の光が、浦の波間に舞い漂っているはず。盲目となる前には何度も目にした、難波浦の致景。今の景色も、きっとそうに違いない…」。

7 シテは舞い戯れます(〔イロエ〕)が、転倒してしまいます。

固く閉ざされた瞼の裏に広がる、夕陽に輝く浦の光景。一点の曇りもない夕映えの空、海のむこうに見える淡路島や須磨・明石、この浦を囲む四方の景色。そんな致景の数々が、彼の心には鮮明に映し出されていた。
「おお、見える、見えるぞ…」 この喜びに、彼の足は自ずと浮かれ出す。四方を眺めてまわる弱法師。しかしその時、彼は道ゆく人と衝突し、転倒してしまう。やはり目は見えていなかった——。その現実に、弱法師は自らの姿を恥じるのだった。

8 ワキはシテに親だと名乗り出、二人は再会を果たします。(終)

そうする内、次第に夜も更け、人目もまばらとなってゆく。遂に決心した通俊は、弱法師へと声をかけた。困惑しつつも返事をする弱法師へ、父だと名乗る通俊。その言葉に、彼は驚きとともに今の姿を恥じ、手探りに逃げ出そうとする。しかし父は、そんなわが子を優しく迎え入れると、夜の暗がりに紛れ、寺をあとにするのだった——。

(文:中野顕正  最終更新:2023年10月25日)

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