熊野 (ゆや)
作者 | 不明(金春禅竹作か) |
素材 | 『平家物語』巻十 |
場所 | 京都、清水 |
季節 | 春 |
分類 | 三番目物 |
登場人物
シテ | 熊野 | 若女[わかおんな]など・唐織着流出立[からおりきながしいでたち] |
ツレ | 朝顔 | 連面[つれめん]・唐織着流出立[からおりきながしいでたち] |
ワキ | 平宗盛 | 風折狩衣(長絹)大口出立[かざおりかりぎぬ(ちょうけん)おおくちいでたち] |
ワキツレ | 従者 | 素袍上下出立[すおうかみしもいでたち] |
あらすじ
遠江国池田の遊女宿の女主人、熊野は平宗盛に仕えており、都にいたところ、侍女朝顔が熊野の母の手紙を携えてやってきました。熊野は母の病気が重いことを知り、故郷に帰りたいと願いますが、宗盛は聞き入れません。泣く泣く清水での花見に連れて行かれた熊野は、つらい気持ちのまま舞を舞います。降ってきた村雨が桜の花を散らすのを見て、熊野は自分の心情を和歌に託します。その和歌を見た宗盛は、ついに熊野の帰郷を許します。
物語の流れ
- 平宗盛[たいらのむねもり]は、遠江国[とおとうみのくに:現在の静岡県]の遊女熊野[ゆや]を側に置き、都にとどめています。母が病気のため熊野は暇乞い[いとまごい]をしていますが、宗盛は花見に連れて行こうと考えています。
- 侍女朝顔が遠江国からやってきます。熊野の母が病気だと何度も熊野に使いを出したのですが、熊野がなかなか都から戻ってこないので、迎えに来たのでした。
- 熊野は病気の母に思いをめぐらせています。
- 熊野のところへやってきた朝顔は、熊野に手紙を見せます。熊野は母の病気がよくないことを知り、再度宗盛に暇を願うことにします。
- 熊野は朝顔を連れて、宗盛のところに赴きます。故郷の母からの手紙を宗盛に見せ、その文面を涙ながらに読み上げます。
- 熊野は宗盛に、国に帰りたいと暇を願いますが、宗盛は聞き入れてくれません。熊野を花見に連れて行こうとします。熊野は仕方なく宗盛とともに花見の車に乗るのでした。
- 清水へと花見へ向かう道中、美しい春の景色を目にしても熊野は母のことが気がかりで仕方ありません。車の中から六波羅の地蔵堂に拝み、車を降りたあとも御堂[みどう]に立ち寄り、観音に母のことを祈るのでした。
- 熊野は御堂に立ち寄ったため、宗盛の一行から遅れをとってしまい、宗盛はそのことにいらだちます。酒宴が始まり、熊野は気が進まないながらも、景色を眺めつつ舞を舞います。
- 宗盛は酒の酌をしている熊野に舞を舞うようにと命じます。熊野は所望に応じ、舞を舞います。
- やがて村雨が降ってきて、桜の花を散らします。それを見た熊野は、また母のことが思いやられ、その心のうちを歌にして短冊にしたためます。
- 熊野が詠んだ和歌「いかにせん都の春も惜しけれど馴れしあづまの花や散るらん」を見た宗盛は、熊野に暇をやり、故郷に帰ることを許します。熊野は観音に祈ったおかげと喜び、故郷への帰路についたのでした。
小書解説
- 村雨留 むらさめどめ
〈熊野〉ではシテが中ノ舞[ちゅうのまい]を舞います。この舞は、故郷へ帰る許しがもらえない熊野がふさいだ心で舞う舞です。小書「村雨留」がつくと、舞の終わり方が変わります。舞は通常よりも短くなります。村雨が降ってきて桜の花を散らすのに気づいて、舞を途中で止めてセリフを言う型になります。
ここに注目
桜の季節にふさわしい作品で、金春禅竹の『歌舞髄脳記[かぶずいのうき]』には、この曲の項に「ことにこの風姿[ふうし]、春のあけぼののごとし」とあります。母からの手紙を涙ながらに読む場面、花を見に邸から清水まで移動する段、清水からの眺めが綴られた叙景文の舞グセ、宗盛に所望され、気が進まないながらも舞う中ノ舞、和歌を詠んで短冊にしたためるイロエなど、見どころの多い能です。視覚的な華やかさもあり、かつ熊野の母への思いを丹念に描いている名作です。なお、花見の場所清水までの道中の場面では作リ物[つくりもの]の花見車を出します。
(文・江口文恵)