銕仙会

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銕仙会上演記録

■2015年03月13日 定期公演

─銕仙会90周年記念─

  • 狂言「粟田口」山本則俊
  • 能「求塚」野村四郎
会 場
宝生能楽堂(全席指定)

日 時
  • 2015年3月13日(金)
  • 午後6時開演(午後5時30分開場)
銕仙会定期公演〈3月〉

狂言 粟田口あわたぐち

シテ 大名 山本 則俊
アド 太郎冠者 山本 則秀
粟田口 山本 則重

この辺りの大名が今度粟田口(都粟田口周辺で作られた刀の銘)の道具比べがあるというので、太郎冠者に都へ行って粟田口を求めてくるよう言いつける。

さて粟田口が何かを知らぬ冠者は、都で自分が粟田口だと名乗る男にまんまと言いくるめられ、男を連れ帰る。大名も粟田口の説明書と男を見比べて色々質問するが、男の巧みな答えにすっかり信じ込み…。

銕仙会では16年振りの上演となる大名狂言。

〈休憩15分〉

能 求塚もとめづか

前シテ
後シテ
里女
菟名日処女
野村 四郎
ツレ 里女 北浪 貴裕
長山 桂三
ワキ 旅僧 宝生 欣哉
ワキツレ 従僧 大日方 寛
則久 英志
アイ 所ノ者 山本東次郎
   
藤田 次郎
小鼓 大倉源次郎
大鼓 柿原 崇志
太鼓 三島元太郎
地謡 観世 淳夫 柴田  稔
谷本 健吾 浅井 文義
浅見 慈一 観世銕之丞
馬野 正基 西村 高夫
     
後見 浅見 真州
清水 寛二

旅の僧が摂津国生田の里を訪れると、まだ雪の残る早春の野辺に里女たちが若菜摘みに現れる。

そのうちの一人の女が僧に乞われ、僧を求塚に案内すると、塚にまつわる悲恋の物語を語り始める。

昔、二人の男に求婚された菟名日処女(うないおとめ)はどちらを選ぶことも出来ず、生田川に身を投げ死んだ。男たちもその後を追い、差し違えて死んだのだと。そう語る女は僧に回向を頼んで消え失せてしまう。

やがて僧の読経に痩せ衰え憔悴しきった様子の菟名日処女の霊が塚の内より現れた。菟名日処女は命を弄んだ報いで地獄に落ち、その責苦を受け続けているのだと、その有様を見せる…。

前半の大らかな早春の若菜摘みの光景と後半の暗く陰鬱な地獄の様、それに苦しむ菟名日処女の姿との対比が鮮烈な印象を与える能。

この曲は観世流では長らく上演が途絶えていたが、昭和26年に観世宗家の依頼を受け、観世華雪が複曲上演した銕之丞家ゆかりの能。

さらに詳しい解説は<こちら>から

写真へのリンク
《90周年によせて》

 4月定期公演で上演される「三山」同様、銕之丞家による復曲能であるこの曲は、昭和26年に六世観世銕之丞(華雪)の手によって復曲されました。その経緯については左記の通り観世流大成版「求塚」初版本に詳しく記載されています。

 求塚の復曲について  二十五世観世元正
 元来求塚という曲は観世元章の明和本には載つて居りますが、何時の頃か退転して今日では現行曲の中にはございません。先代左近が何かの機会に復活させたいと考えて居りましたが、実現せずに早世したのであります。
 現在この曲のある宝生、喜多、金剛の各家元の諒解を得て、今回華雪が復曲上演することになりました。その経緯に就いては次の事情があります。
 先代左近逝去の後、当然の家柄として分家の華雪(当時六代目銕之丞)が後見人として立ち、同時に私の芸道の師範役となつてくれました。戦時中から戦後にかけての諸艱難を切り抜け、私の薫陶に当つた華雪としては真に苦労の程、想像に余りあるものでありまして、よくも我慢して面倒を見てくれたものと、衷心より感謝して居るのであります。
 此の師であり父である華雪が昨年後見人の地位から離れました。これは私の年齢がそれに達したというだけの事で、芸道修行は申すに及ばず、其他今後とも指導を仰ぐべきこと勿論ですが、一応後見人の地位を離れたことによって一段階を画し、長い間の苦労を感謝する為、永久に能楽史上に残る求塚復曲の大任に当つて貰いました。文章は斯界の権威にはかり、検討を加え、節付、形付ともに華雪により復活大成したものであります。
  昭和二十六年十二月

『万葉集』典拠のこの曲は銕之丞家の特質であるドラマティックさがよく表現された曲です。二人の男の争いの結果、菟名日処女は果てることない地獄の責苦に苛まれることになるのですが、物語の素材はのどかな万葉の世界であっても、作られた中世という時代が、この曲に救いようのない陰鬱さを与えているのではないでしょうか。しかし前半の春の野に菜を摘む乙女たちの場面は真に明るく、この対照がこの曲の際立つ面白さです。

観世銕之丞

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