銕仙会

銕仙会

曲目解説

大会だいえ
命を助けられた恩義ゆえに釈迦の説法を演じて見せた天狗は、見ていた僧の迂闊な涙から、大変な目に遭ってしまう…。
作者 不詳
場所 比叡山
季節 不定
分類 五番目物 天狗物

 

登場人物
前シテ 山伏(大天狗の化身) 直面 山伏出立(山伏姿の者の扮装)
後シテ 大天狗 面:大癋見(※1) 天狗出立(天狗の扮装)
ツレ 帝釈天 面:天神 輪冠側次大口出立(仏法の守護神の扮装)
ワキ 比叡山の僧 大口僧出立など(やや格式張った僧侶の扮装)
間狂言 木葉天狗(このはてんぐ) 小天狗出立(下っ端の天狗の扮装)(※2)
※1 小型の大癋見の上から釈迦の面をかけ、下記「5」の場面でそれを外すという演出もあります。
※2 間狂言として、木葉天狗に加えて京童を出す演出もあります。(下記「小書・新演出解説」参照)

概要

比叡山で修行していた僧(ワキ)のもとに、一人の山伏(シテ)が訪れ、以前命を助けられた者だと言って礼を述べる。実は、僧はかつて京童たちにいじめられていた鳶を助けたのであった。鳶は天狗の仮の姿というが、その天狗が、今度は山伏の姿でやって来たのである。望みがあれば何でも叶えようと言う山伏に、僧は、釈迦が法華経を説いた時の様子を再現して見たいと言う。山伏は「叶えるが、それを見ても信心を起こしてはならぬ」と言い置き、消え失せた。僧が目を閉じて待っていると声が聞こえてきたので、目を開けるとそこには大天狗の扮する釈迦如来(後シテ)が、大勢の弟子達に囲まれて説法をしていた。僧は先刻の約束を忘れて思わず信心を起こしてしまう。そのとき、天から帝釈天(ツレ)が現れ、信心深い僧を幻惑したとして大天狗を責め立てる。通力も破れ、もとの姿に戻った天狗は、帝釈天に対して平謝りに謝ると、ほうほうの体で逃げ帰っていった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場します。

比叡山の奥深く。深い木立に囲まれ、ここはまさに閑寂の道場といった趣である。
その比叡山中に、一人の僧(ワキ)がいた。彼は日夜、天台の教理を探究し、三昧の境地に入って心を静める修行をしているのであった。

2 シテが現れてワキのもとを訪れ、釈迦の昔を再現しようと約束して退場します(中入)。

その庵室に、一人の山伏(シテ)が訪ねてきた。彼は、以前僧に命を助けられた者だと言って礼を述べ、その恩返しとして、望みがあれば叶えようと申し出る。僧は、いにしえ釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)で法華経を説いたときの様子を見たいと所望する。山伏は、それならば叶えるが、それを見ても決して信心を起こしてはならぬと言い置くと、木々の梢に飛び移り、そのまま姿を消してしまうのであった。

3 間狂言たちが現れ、会話をします。

山伏の正体は、大天狗であった。以前京童たちにいじめられ、死にそうになっていたところを、かの僧に助けられたのであった。大天狗の従者である木葉天狗たち(間狂言)は、大天狗に命じられた釈迦の説法の場の再現をすべく、準備をしている。

4 後シテが現れ、釈迦の説法の場を再現して見せます。

僧は、山伏に言われたとおり、杉の木立に立ち寄り、目を閉じて静かに時を過ごしている。すると、待つこと暫し、説法をする釈迦の声が聞こえてきた。
目を開けると、そこには大天狗の扮する釈迦如来(後シテ)が、木葉天狗たちの扮する大勢の弟子たちに囲繞され、今まさに法華経を説いているところであった。山は霊鷲山、大地は紺瑠璃、樹木は七重宝樹となって、天より花降り、音楽が聞こえてくる…。

5 ワキが信心を起こしたことで説法の座が消滅し、シテは天狗の姿に早変わりします。

それを見た僧は、先刻の約束を忘れ、思わず信心を起こし、感激の涙を流してしまう。
そのとき。大地がにわかに震動し、天狗たちが神通力によって見せていた説法の座は消え失せてしまった。天狗たちはもとの姿に戻ってしまい、恐怖におののき、慌てふためく。

6 ツレが登場してシテを懲らしめ(〔舞働(まいばたらき)〕)、この能が終わります。

やがて、天界から仏法の守護神・帝釈天(ツレ)が降臨し、大天狗に譴責を加える。「この僧ほどの信心深き者を幻惑し誑かすとは、不届き者め!」 大天狗は散々に打ち据えられ、帝釈天に対して平謝りに謝る。
…やがて、帝釈天は天界へと帰ってゆき、大天狗はほうほうの体で退散してゆくのだった。

小書・新演出解説

・間狂言に関する新演出

本作は、天狗の化身である山伏(前シテ)が比叡山の僧(ワキ)の庵室を訪れ、命を助けられたことの感謝を述べる場面から始まっていますが、その前段として、京童にいじめられていた鳶(天狗の仮の姿)を僧が助けるという場面を描く演出が、近年おこなわれています。
その流れは、次のようになっています。まず、二人の京童(間狂言)が現れ、大きな鳶を打ち据えています。そこへ比叡山の僧(ワキ)が現れて京童たちを教え諭し、扇と数珠とを与える代わりに鳶を解放させます。そしてその後、上記「1」の場面へと続く、というものです。
またそのほか、「4」の場面でも、木葉天狗たち(間狂言)が釈迦を取り巻く弟子たちに扮し、後シテとともに説法の座に居並ぶという演出がおこなわれます。(この演出は、上記の京童が鳶をいじめる場面が無い場合でも、上演されることがあります。)
この演出は、本作の典拠となっている『十訓抄』所収の説話に基づいて考案されたものであり、昭和60年に、当時の銕仙会当主であった八世観世銕之亟によって初演された、銕仙会にゆかりの深い演出となっています。(この演出台本の執筆は田口和夫、補綴演出は野村萬によってなされました。)

みどころ

本作は、天狗を主人公とする能です。
天狗といいますと、顔が赤くて鼻の長い、羽の生えた妖怪をイメージする方が多いのではないでしょうか。しかし実は、この天狗のイメージは近世(江戸時代)に入って定着したもので、中世(鎌倉~室町時代)においては、むしろ猛禽類のイメージで描かれていました。天狗は人前に姿を現すときには鳶(とび)の姿となると言われており、鋭い嘴(くちばし)が、天狗のトレードマークとなっていたのです(羽が生えていることは江戸時代と同様です)。
本作の物語は、すでに鎌倉時代の説話集『十訓抄』などに載せられていますが、それによれば、本作の主人公となる天狗は、以前、鳶の姿でいたところを、京童たちにいじめられ、死にかかっていました。それを、ワキの僧に助けられた、という経緯があるのです。(上記「間狂言に関する新演出」で上演されるときには、その助けられる場面も上演されます。)
天狗の登場する能には、本作のほか〈善界〉〈車僧〉〈鞍馬天狗〉があります。この中で、〈鞍馬天狗〉は牛若丸(のちの源義経)を守護する真面目な天狗が主人公ですが、〈善界〉〈車僧〉の二作は本作同様、天狗の間抜けな失敗談が描かれた作品となっています。しかし、「仏法に障りを成そうと企み、僧の法力によってくじかれてしまう」という内容のこれら二曲と比べても、本作の天狗は仏法を妨げようとする悪意があったわけではなく、ワキ僧に恩返しをしたい一心から、釈迦の説法の様子を再現しようとしたのであり、その点で、本作に描かれている失敗譚は、天狗の間抜けさ、滑稽さがより強調された内容となっていると言えましょう。
本作の後場では、後シテとして現れた天狗が、釈迦の説法の場を再現して見せます。近年ではこの場面で、後シテのかける「大癋見(おおべしみ)」の能面の上からさらに、仏像さながらの「釈迦」の面をかけ、上記「5」の場面での早変わりをより強烈に印象づけるという演出が多くなされています。“釈迦から天狗へ”の早変わりは、本作のみどころの一つであり、視覚的に楽しませてくれることでしょう。
ユーモラスで、ちょっと可哀想な天狗の失敗譚を描いた、楽しい舞台となっています。

(文:中野顕正)

過去に掲載された曲目解説「大会」(文・江口文恵)

近年の上演記録(写真)

(最終更新:2017年5月)

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