銕仙会

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能の歴史

4 江戸時代

これらをふまえ、江戸時代になると能は「式楽しきがく」(勅使饗応など、フォーマルな儀式の場で上演される、政府の公式な音楽)として定められ、格式が重視されて保守的傾向が強まりました。芸の統制や演目の固定化がすすんで創造性は失われていきましたが、それによって工夫は演目の内側へと向かい、細部まで洗練された高度な芸へと発達して、こんにちの能の姿がほぼ完成したのでした。
なお、基本的に新作能はつくられず、演目は固定的でしたが、埋もれていた作品の復曲はしばしば行われ、たとえば徳川綱吉・家宣の時代に復活された能のなかには、〈砧〉〈大原御幸〉など、現在まで伝わる人気曲も含まれています。
能が式楽となったことで、庶民の目に触れる機会は稀になってしまいましたが、一方でうたいは教養や稽古事として人気を博し、たとえば結婚式で〈高砂〉の一節「高砂やこの浦舟に帆をあげて…」を謡うことが慣例化するなど、能のことばは人々にとって身近なものとなったのでした。
なお、江戸時代後期の観世宗家であった観世元章かんぜもとあきらは、演出の工夫に力を入れ、〈采女〉の「美奈保之伝みなほのでん」など多くの小書(特殊演出)を作りました。固定化された演目の中でいかに創造性を発揮するか、元章らの工夫によって、現在見られる多彩な演出ができあがったのでした。

 


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